なぜ腐れ大学生がいまさら初めてのブログを開設したのか。
こんばんは。
昨日初めて記事を書いてみました。
そしてこれを始めに書かないおつむの弱さを発揮しました。
書きます。
なぜブログを始めたのか。
僕は思えばインプットばかりの人生でした。
本、漫画、映画、お笑い、ドキュメンタリー、スポーツ、ゲームと節操なくメディアに触れ、ただ浪費していました。その瞬間の面白いだけで過ぎ去り、僕を構成する蓄えになっていないことにある日、気が付きました。
小さいころからサッカーを愛好していた僕は、勉強もそこそこでき、サッカーもそこそこできたので深く考えることもなく日々を送っていました。
4回生になり自分の時間が増えた時に自分の中にある「好き」と「嫌い」の感度が弱っていました。
モノの特徴に気が付きすぎ敏感にある意味鈍感に捉えすぎているのです。
何事も手放しのメリットはなく、デメリットも同じことです。両面が表裏一体であるか見る人一人ひとりにとって良いもの、悪いものというモノサシができるはずです。
僕にはどちらの言い分もわかってしまう。何が良くてなぜ悪いのか。
ほめることも、悪口を言うのも全く同じようにできてしまうのです。
何事においても、ただ消費する自分が嫌なのです。
中身として蓄えたことを、自分で咀嚼し、自分のフィルターに通して、言葉にすること、いままで浪費してたメディアをつくって来た人たちと同じように僕自身で何かを作り上げてみたいと考えました。
日記などつけたこともなく、SNSも熱心に更新する方ではありませんでした。
それでもSNSのタイムラインはいつも追っていました。
発信せずに人の情報ばかり収集するのは、自分から発信することができず発信者がうらやましかったのかもしれません。
こうやってブログを書くと昨日始めて記事を書いたら、ほんの少しの人が読んでくれました。
ものすごくうれしかったです。
書いたものが誰かの目に留まり、そしてそれぞれで感じてもらうことが出来る。
賛成でも、批判でも、なんとも思わない、何言ってんだこいつでもいいのです。
思った事を表現でき、自分だけのものから昇化できることがうれしく感じます。
人の作った作品類をいままでただ感じ取っていただけでしたが、同じように僕も作成者になり公開できていることに感謝したいです。
ただ、一人で日記帳に書くだけでなく公開することを意識することで、ただ一人のために書く乱調まみれの文章から、読んでもらうための表現やチェックが可能になると自分のメモリもないモノサシに正しいメモリを作れたら素晴らしいかな。
以上です。